わたしの故郷

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

私は東北の秋田県に生まれ、育ちました。いつも雨や雪が降る、どちらかというと暗い、寂しいイメージを持っていましたので、故郷に対する郷愁はあまりありません。でも、渋谷にある銅像、忠犬ハチ公の出身地が、私の故郷・大館なので、少し誇りには思っています。秋田犬というのは、毛がふさふさした可愛い犬です。

それと、雪が深いので、よくスキーは楽しみました。けれども、寒さが嫌いなので、故郷への愛は希薄だと思います。

ところが、高校を卒業して、第2の故郷となる長野県に引っ越してからは、大の自然好きになりました。紺碧の青空と3000メートル級のアルプス山脈が目の前に見える光景は壮観で、すっかり信州に魅了されました。長野市から見えるアルプスは、北アルプスですが、志賀高原や菅平なども肉眼で見えます。近くには千曲川やその支流が流れています。

そして私は、この長野市のカトリック教会で洗礼を受け、カトリック信者になりましたから、長野は第2の故郷だと感じています。

また、善光寺の近くに、数年間過ごしていましたので、仏教にも親近感を抱いています。

今でも、毎夏のごとく、信州に帰って数日間休養を取っていますが、懐かしいです。自然界の美しさ、荘厳さ、精密さ、その調和の素晴らしさなど、神さまの傑作だけあって、山川草木に至るまで、神の栄光が輝いています。首都圏のほぼ真ん中で長年、住んでいると、庭園などはありますが、大自然の壮大さは経験できません。故郷にはまだ、自然界が凛と聳えています。

私のささやかな地方創生というのは、故郷の自然界の神秘を開くことではないかと考えますが、いかがでしょうか。

わたしの故郷

熊本 洋

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「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」。だれもが歌い、知っている歌、 故郷を懐かしむ歌ですが、この故郷の麗しい風景は、今やおいそれと容易に見られなくなってしまいました。どこの故郷も、急速に進む人口の過疎化とともに、故郷の美しい「ムラ」が消滅の危機にさらされています。当局の調べによりますと、全国で、5000もの「ムラ」が、消滅してしまいました。島根県では、県内の80パーセントが過疎地になっているとのことです。予想以上に進む過疎化の進展とともに、大勢の人々が故郷を失い、故郷のない人々が増えることは、たいへん残念な悲しいことだと思います。

ところで、わたしの懐かしの故郷は、大阪府豊中市。小学校3年生まで豊中で過ごし、その後、父の勤めの関係で香港に転居、5年生まで香港日本人小学校で学びました。帰国後、6年生からは東京の国民学校で学び、その後、大学まで東京で過ごした次第です。

故郷の第1の定義「自分が生まれた土地」から言いますと、わたしの故郷は大阪。第2の定義「かつて住んだことのある土地」から言いますと、大阪、香港、東京、そして最後に、国際交流基金から日本語教師として6年間派遣された、スペインのマドリードが、わたしの第3の故郷ということになります。故郷への懐かしみは、恐らく永遠で、故郷は、思い出とともに、永遠、憩いと安らぎの場であります。同時に、親族、友人、知人とともに、愛情・友情に満ち溢れた故郷は、人生・幸せの温床であり、幸せ満喫の場でもあります。

人生にとって、故郷は、掛け替えのない、なにより大切、貴重な場であることを改めて肝に銘じたいと思います。


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