わたしの故郷

植村 高雄

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わたしの故郷とは何だろう?

昭和31年、越後長岡から希望にあふれ、青雲の志を抱いて東京の大学に進学します。最初の夏休みを迎えて故郷に帰る日。やっと出来た数名の学友は、鹿児島や北海道の故郷へ生き生きと嬉しそうに帰るのですが、私には、そこまでの喜びはありませんでした。

父母兄弟に会える喜びは大きいのですが、学友たちのように、幼稚園時代からの友達や親戚のこと、そして鹿児島湾に浮かぶ美しく雄大な火山・桜島や、厳寒のオホーツク海流氷風景のことなど、人情と故郷の山河を自慢げに語る姿を羨ましく思いました。

海軍の職業軍人の家庭に生まれた私は、同じ家に2年以上住んだ記憶がありません。戦後の疎開生活でも、同じ越後の中をあちこち引っ越していました。

不思議な現象ですが、何故か寂しい人生だなあと感じることが多く、高等学校2年生の時にカトリックの教会を訪れ、やがて、洗礼を受けます。そこで同じ敗戦国出身であるドイツ人の神父さんと出会い、時として戦争の話になり、テーブルを叩いて戦争の惨めさ、人生の哀しさを夜遅くまで会話していた記憶もあります。

数か月後は宇宙の話、天地創造の神様の話、神の愛とは何か、という話題から旧約聖書・コヘレトと雅歌の話題になりました。コヘレトを読みますと、少年ながら自分の話だなあと感じましたが、雅歌になりますと、世の中にこのような美しい愛の世界があることに気づきだします。このような愛の世界が本当に存在するならば生きる価値がある、と少年ながら生きる希望を感じました。

その時から60年生き抜き今、心の底から本当に愛が存在していたことを体験し、心からあの時の神様の摂理を感謝しています。

わたしの故郷

シスター 山本 久美子

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故郷とは、「生まれ育った土地」という意味ですが、私は、私がキリスト者として生まれ育った故郷をふりかえりたいと思います。

私の育った家庭はキリスト教とは無縁でしたが、カトリック中学校への入学を機にキリスト教と出会い、入信の恵みをいただきました。中学、高校と、最も多感で純粋な時期を、キリスト教の教育環境下で過ごし、宗教行事や宗教のクラス等を通して触れたキリスト教の価値観が、私の心に自然に染み込んでいきました。特に、人間を越える絶対者である神様への強い憧れが育まれ、それと同時に、それ以前には重要に感じていた世間体や絶対的なもののように受け取ってきた親の考え方には不信感を抱くようになりました。人間関係や人生の意義について迷い、不安になり、大変苦しんだ時期でもあり、私にとって、最もたくさんの想いが詰まっている時期であったと言えます。

このような時期を過ごした学校の校庭のマリア像や校内にあった小さな祈りの部屋、修道院の聖堂等を思い出すと、懐かしさでいっぱいになります。初めて、シスターという人たちと出会い、自分の将来の生き方の方向性を示された時でもありました。

中学時代からのいろいろな出会いや体験をふり返ると、自ずと目に見えない神様の計らいが見えて来て、常に神様に引き寄せられ、導かれてきたことに改めて気付かされます。その当時には、意味が見出せず、苦しかった体験も、私を神への祈りに駆り立て、私の中の神への憧憬を深め、神の命を渇望する自分自身との出会いにつながっていたことが、今の私にはわかります。

「わたしの真の故郷」は、父なる神に通じた道でのすべてのことだと思います。


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