一時は、商店街住民の猛反対にあうものの、5年後に水木しげるロードはオープン。その3日後に、銅像2体が盗まれるという禍が転じて、全国にその存在が知られました。
以後、遠方からの観光客のために鬼太郎茶屋を開いたり、せんべい・まんじゅうなどの鬼太郎グッズを開発したり、鬼太郎列車を走らせたり、下駄飛ばし大会を催したりするなど、官民一体となって知恵をしぼり集客を図り、おもてなしをするようになりました。
人気は高まり、観光客の数も年々増加。2010年には、NHKの連続テレビ小説で『ゲゲゲの女房』が放送され、年間観光客数は史上空前の372万人を達成。以後は毎年約200万人前後だそうです。
妖怪の存在を少しも信じていない私は、帰省するたびに、妖怪の街に変貌していく故郷の姿に、唖然としたり、恥ずかしくなったりしたものです。けれども、幼い子供からご老人までが、気色満面でわが故郷を歩く様を目にするにつれ、次第に受け入れられるようになってきました。
神は、私たちに愛と謙虚さにおいて、自ら変わり成長することをお望みだと思うのです。
アイディアと実行力と協力によって、街を活性化し訪れる人に喜びを与えている故郷の人々の姿から、私は自分自身とカトリック教会の活性化の在り方について学ばせていただいています。
60年前までの東京は現在の大都会とはだいぶ様子がちがっていました。表参道は現在東京のシャンゼリゼですが、私が子供の頃は大通りに面して国家公務員宿舎の同潤会アパートが立ち並び、学友が何人か住んでいたので、遊びに行っては明治神宮の内園で花見をしたり、渋谷川でメダカを取ったりしました。渋谷から日比谷公園まで都電が通っていて、日比谷公園にあった公会堂での音楽会や、図書館で受験勉強をしたことも懐かしく、大人に連れられて銀座を横切って歌舞伎座まで歩く距離を長いと感じたことも、私にとっては大事な故郷の思い出です。
ことに、中学・高校時代、ホイヴェルス神父をお訪ねしに度々降りた四谷駅周辺は、イグナチオ教会の聖堂が建て替わり、上智大学の校舎が高層建築になりはしたものの、基本の景観は変わらないので、大切な心の故郷の一つです。桜並木が続く土手に上り、眼下に上智大学のグラウンドを見下ろすと、カトリックと出会った思春期が蘇ります。
都会であれ田舎であれ、その人が人格形成をする初めの時期を過ごした土地と周辺の環境は、その人にとっては何物にも代えがたい故郷なのです。