▲をクリックすると音声で聞こえます。

わたしの故郷

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

京都市の南部、伏見というところで、私は生まれました。「京都生まれです」と言うと、多くの人たちが「うらやましいですね」とおっしゃいます。しかし、実際に住んでいると「いつでも行ける」と思い、いわゆる観光地のことをほとんど知りません。

それでも、故郷である京都への思いは強く、京都から離れれば離れるほど、その思いは強くなりました。誇らしく思ったり、懐かしく思ったりと、特にアメリカに住んでいた時には、よく故郷を思い出していました。

故郷はいつも私の心の中にあり、私の思い出や人生の歩みと共にあります。子どもの頃に遊んだお寺や、卒業した小学校、いきつけだったラーメン屋さんなどなどです。故郷を思い起こすと、一気に懐かしい思いで一杯になります。

同時に、苦い思い出もよみがえってきます。

お寺の廊下を走り回ってしかられたことや、小学校の登校時に遅刻しそうになって、毎日走った通学路のこと。また、遊び友だちとケンカしたことなどです。長い時間が過ぎた今となると、少々苦い思い出も、ほほえましい思い出に変わって来ています。

ところで、聖パウロは言います。「すべてのものは、神から出て神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ローマ:11・36)

この言葉によれば、故郷で生まれ過ごした私をお造りになられたのは、神ご自身です。そして、故郷での私の思い出や人生の歩みと共に神さまがおられ、そのすべては神さまに向かっているのです。

究極的には、私たちの本当の故郷は、神のみもとにあり、私たちの人生もすべて神の御手の内にあり、そして、私たちは、神のみもとへと帰って行くのでしょう。そこに神の栄光が輝き出ます。