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わたしの故郷

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

最近はあまり耳にしなくなりました。都会に進学、就職した人たちに、よく表れる現象として「5月病」があると。それこそ、住み慣れた故郷を離れ、新しい環境の中でなかなか馴染まないままに、精神的な不安を抱えこんでしまうのです。

それでも、若い頃は、「挑戦心」旺盛な時期です。張り切って生きようとする心意気と、現実とがうまくかみ合わないのでしょうか。どうあっても、前に突き進もうとがむしゃらになります。不思議なことに、その時というのは、いつも、楽しいこと、嬉しいことを探求している自分に気付きます。ここに、若さの馬力があるのでしょう。

年を重ねていきますと、「がむしゃらさ」が失せてしまい、体の元気さも減少していきます。その時住んでいる場所に定着してしまい、そして、その地が第2の「わが故郷」になっていきます。こうして、大人になってからの「故郷」と、子ども時代の「故郷」の2つが存在するような気がするんです。

最近つくづく思うのは、親が亡くなってしまうと「ふるさと感」もなくなっていくものなのかな、ということです。足も遠のくし、自分が育った幼少時代の環境を思い出すことも稀になってしまいます。他の人に指摘されて初めて意識するという具合です。

しかし、何だかんだ言っても、「故郷」はいいものです。久しぶりに訪れてみますと、自ずと、幼少時代の自分を思い出し、幼なじみの友の顔が出てきます。大きくなってからお会いしていない友の顔は、幼いまんまの姿が出てきます。

きれいな川で冷たい水にたわむれ、魚取りに興じたこと、わなを仕掛けた場所にそっと近づきながらも、失敗した山での捕獲作戦。今では、あの川も山も見当たらない景色に変貌したわがふるさと、鹿児島県の知覧町です。