年を重ねていきますと、「がむしゃらさ」が失せてしまい、体の元気さも減少していきます。その時住んでいる場所に定着してしまい、そして、その地が第2の「わが故郷」になっていきます。こうして、大人になってからの「故郷」と、子ども時代の「故郷」の2つが存在するような気がするんです。
最近つくづく思うのは、親が亡くなってしまうと「ふるさと感」もなくなっていくものなのかな、ということです。足も遠のくし、自分が育った幼少時代の環境を思い出すことも稀になってしまいます。他の人に指摘されて初めて意識するという具合です。
しかし、何だかんだ言っても、「故郷」はいいものです。久しぶりに訪れてみますと、自ずと、幼少時代の自分を思い出し、幼なじみの友の顔が出てきます。大きくなってからお会いしていない友の顔は、幼いまんまの姿が出てきます。
きれいな川で冷たい水にたわむれ、魚取りに興じたこと、わなを仕掛けた場所にそっと近づきながらも、失敗した山での捕獲作戦。今では、あの川も山も見当たらない景色に変貌したわがふるさと、鹿児島県の知覧町です。