わたしの故郷

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

学生時代、夏休みに入ると周りの友達がそれぞれ帰郷して、いなくなるのです。「田舎に帰るから」という友を、上野駅や東京駅のホームで見送ったものでした。

いいなあ、帰る田舎があるのって。だって東京には「うさぎ追いしかの山」も「小ブナ釣りしかの川」もありませんもの。

そんな私にも、第2の故郷ともいえる「長崎」との出会いがあったのです。

初めて羽田から大村の長崎空港に降り立った時の感動は忘れられません。初めてなのになぜかなつかしく、いとおしく、ほっと心がなごみました。

空気が違う!

人々の話す長崎弁がまた優しくのんびりしていて耳に心地よい・・・。

ほんの、1、2年のつもりが11年にもなりました。

「あなた、長崎は日本のローマよ。隠れキリシタンの子孫の方達に会ってよく話をきいてきて」といわれて送り出されたのです。

なるほど、ちょっとタイムスリップしたようでした。300年近く隠れに隠れて信仰を守り通した人達。ロザリオを唱えていてもオラショの切なげな節がまじりあって聞こえます。

日本列島の西の果て、キリシタン迫害と殉教、そして世界大戦での原爆投下、それらは長崎の人々の心の奥深く、かなしみと祈りの切実さを刻みつけたでしょう。

「うち達、勉強しとらんけん、なあも難しかことわからんとよ」

刷新されたカテキズム、典礼についていくのは大変。でもばあ様達の信仰は生活のすべてとひとつになり純朴、ひたむきなこと!

「コバヤシさん、長崎を捨てたらいかんよ。早う戻ってこんば。待っとうけんね」

ほかにそんなところはありません。ずっとずっと待っていてくれるなんて。

わが愛する第2の故郷への思いは尽きません。

わたしの故郷

黒岩 英臣

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兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・。

恐らく、この歌の風景が、私達世代の高齢者の心に宿る故郷という存在の原風景だと思います。それでも、おのおのの故郷はやはりそれぞれ違っていることでしょうが。

私も自分の故郷は何処か、という自問にはっきりした答えが出せない気がしているのです。というのも、「故郷」とは「兎追いしかの山」でなければ故郷とは言えないような気がするのに、自分にはそこまで言い切れる場所が無いような気がしているからなのです。

その理由の1つに、私がこの前の戦争中に生まれたということがあります。目黒区碑文谷・・・この、母の実家で私は生まれ、幼児期を過ごしたようです。この年令ではまだ当然、兎は追えません。それに、目黒には、兎はいなかったでしょう。

そうこうするうちに、東京の空襲も激しくなり、私達親子も郊外の武蔵境という、当時はまだまだ田舎だったところへ疎開しました。3才になるかどうか位で、ここにも兎はいなかったようですが、欅の巨木が林立していたのを覚えています。

さて、この武蔵境の隣が今、私達が30年来住んでいる三鷹で、そこから2つ新宿よりが妻の実家のあった荻窪、そしてそのもう1つ新宿よりの阿佐ヶ谷に私達一家は武蔵境の後に引っ越したのでした。

こうしてみると、どうも我々夫婦は、中央線という東京の大動脈の一角から離れられないようです。

しかし、私達夫婦も、主の御許に行ける日もそうそう遠くはないだろうと実感する最近です。詩編に歌われているように、「主よ、あなたの住まいは何と美しい、それを想って私の魂は絶え入るばかり・・。」(参:84・1~2)これこそ私の故郷です。


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