祖母はこの出来事を何度も母などに話していた。この出来事が祖母にとって、救いになっていたようなのだ。12歳で母親を亡くし、親類を転々として育った祖母の生い立ちを知るにつれて、わたしは小さくても祖母の心のふる里になっていたのかもしれない。
今、私も祖母の年齢に近くなってくると、幼いときのような無垢な行動はできなくなっている。日々、寂寞とした思いに駆られるというのが正直なところだ。それでも、あの幼い時のように、小さなことを大切に生きることができるなら、いつか天のふる里に迎えてもらえるかもしれないと、希望を抱くようになった。
ダムのような堰の上流で泳ぎまわり、体が冷えると下流の中州や窪たまりで小魚を取り、石の下のエビを探り、堰の中央にある「筏流し」と呼ばれる小舟の通路の小さな滝を滑り落ちるスリルを味わい、愉しみました..。
小学2年の夏のことは胸が痛みます。大雨が降った翌日、「今日は川に行ったら行かんぞ」と祖父に言われたのに友だちと行って堰から流され、危うく死ぬところでした。幸い堰の下の通路で助けられましたが、叱られるのが怖くて誰にも言えません。
ところが夕食の時、祖父が「チエコは痩せちょるが、ちっとは大きゅうなったか?」と私の体をなでました。「こそばいいっちゃ!」と逃げましたが、祖父が川でのことを知って、怪我はないかと調べてくれたのだと分かっていました。
その後も祖父はそのことを一言も言いませんでした。だから子ども心に祖父のショックと慈愛を感じてすまなく思いました。
この堰は近年取り壊されましたが、今も耳を澄ませば、堰の水音と子どもたちの歓声が聞こえてくるようです。