わたしの故郷

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

年に2回、お正月とお盆には、母の住む埼玉の実家に帰ることにしている。わたしが子どもの頃、実家の周りには田んぼや畑がたくさんあった。小学校へは、毎日、田んぼの中の一本道を通って行ったものだ。それが、最近ではすっかり様子が変わった。田んぼは埋められ、畑はアスファルトで固められて、どこもかしこも住宅や駐車場になってしまった。近所を散歩していても、自分がどこにいるか分からなくなってしまうほどだ。

変わってしまった故郷を嘆きたくもなるが、よく考えてみれば、わたし自身もずいぶん変わった。真っ黒に日焼けし、虫捕り網や釣竿を持って駆け回っていた少年の面影は、もうどこにもない。いまでは、眼鏡をかけ、聖書を手にしてのそのそ歩き回る中年太りのおじさんがいるだけだ。子どもの頃の友人がわたしを見かけたとしても、きっとすぐにわたしとは分からないだろう。

故郷もわたしも、すっかり変わってしまった。だが、変わらないものも確かにある。目を閉じて心の中を探ってゆけば、わたしの中にまだあの時の少年が生きている。満々と水をたたえた初夏の田んぼが放つ青臭いにおいも、鼻に鮮明に残っているし、泥遊びをするときに感じた土のぬくもりも、しっかり手に残っている。少年の日のわたしをしっかり抱きとめ、大きな愛の中で育ててくれた故郷はいまもわたしの心の中に生きているのだ。すでに亡くなった父や祖母の思い出も、心の中に深く刻まれて、変わることがない。年老いた母が作ってくれる手料理の味も、子どもの頃と同じだ。すべてが変わってゆく中で、いつまでも決して変わらないもの。心の奥深くにあって、いつでも帰って行ける場所。それが故郷なのかもしれない。

わたしの故郷

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

私はよく夢を見る。それもカラーである。

夫や友人たちの夢はモノクロだという。

ふるさと五島列島の夢もよく見る。

私の夢に登場するのは、16歳の秋、福江大火で全焼した、福江市新栄町の家である。

火事のあと仮設住宅に入り、その後、新しい家に転居したのに、いつも夢に出てくるのは新栄町の家である。

教会もまた、新しい福江教会ではなく、あのひなびた木造の朽ちかけた教会である。

すきま風だらけの板張りのけいこ部屋もよく登場する。

そこには繕って繕って布の固くなったスータン姿の神父さま、手編みのカーディガンを着た教え方さまがにこにことして現れる。

私にとってふるさととは、子どもの頃、心を育ててくれた小さい場所である。

飛行機で行く五島ではなく、舟に乗って行く五島である。

バス代もなく、遠い教会へ行くのに、てくてくと歩いたほこりっぽい五島の道である。

今や五島も地方都市と呼ぶにふさわしい町と化した。

しかし、先日、五島を紹介するテレビ番組を見ていたら、案内役の男性タレントが五島の人々のやさしさ、あたたかさを一生懸命伝えていて胸が熱くなった。

そうなのである。景色がきれいとか、魚がおいしいとか・・・だけではなく、人々の心が純朴なことに感動して欲しいのである。

少女の頃、神父さまに「心は地球を包めるくらい大きい」と教えていただいた。

父母には、貧しかったけれどだれにも負けないくらいの愛情を注いでもらった。

私のふるさとは新栄町の家であり、木造の粗末な教会であることをあらためて思った。


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