高校1年生の秋、福江大火で家が全焼し、港の傍の埋立地の仮設住宅に住んだ。
その時、家や思い出の品が焼失した悲しみをいやしてくれたのが毎朝、水平線から昇ってくる朝日だった。
光り輝くような天地創造の世界がそこにあり、その瞬間には悲しみを忘れ、朝日を眺めたものだった。雨が降らない限り、その光景を、家の台所の窓から眺められたことは、何という贅沢なひとときであっただろう。
しかし、海の恐さも十二分に知っている。
台風の時の海のすさまじい荒れ方。おだやかな海が牙をむいた動物のように一変する。春夏秋冬、海の姿は変化する。
しかし、いつも私の心にあったのは、海はパパさまにつながっているという安心感。
もし、津波が来て流されても魂はパパさまのもとに着き、やがて天国につながるという思い。
71歳になった今も海は大好きである。
一昨日も電車から海が見える所へ行った。
海を見ると嬉しい気持ちになり、今では、フランシスコパパさまとつながっているのだと思うと、ますます心が弾むのである。