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自然とわたし

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは特別に登山が好きなわけではありませんが、20代の後半や30代の前半頃、よく富士山に登りました。それは勉学中のわたしどもが、8月の夏季休暇を河口湖の別荘で2週間を過ごしたからです。これが数年間続きました。

毎日、湖を隔てて目の前の富士山を眺めていると、その姿の変容に魅了されました。登ってみようと、友人とともに結局3回も登りました。その上、5合目のお中道巡りや、5合目から精進湖に向って下山したこともあります。若かったから、こんな無茶なことができましたが、しかし、日本一高い富士山に登頂したのだという自信は、その後のわたしに大きな自信を与えてくれました。

その極めつきを1つご紹介したいと思います。別に自慢話でするわけではありません。ある夏の昼過ぎ、友人と2人で5合目の峠の茶屋にいました。そこから富士の頂上を見たとき、手の届くような近くに感じたので、友人とここから頂上に登ろうかと言いました。登山道のない、火山灰が固まって岩になっているところにしがみつきながら、一歩一歩登っていきました。目の前に剣ヶ峰が見えるのに、なかなか着きません。友人とはだいぶ離れ、わたし独りになりました。午前中あんなに晴れていたのに、午後になると富士山の頂上の近くは厚い雲に覆われてきます。方角がわからないので、困り、必死に神さま助けてくださいと祈りました。すると、晴れ間が現れ、登ることができました。こうして2時に出発したわたしは、5時に頂上に着きました。友人は1時間遅れて到着しました。

頂上に腰掛けて、下に見える雲海や下界を眺めていると、ある宣教師が言った、「山に真理がある」ということを実感しました。