ここで、主イエスは、ご自分が「羊飼い」で、私をご自分の「羊」という関係で表現されます。「私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである」と続け、父なる神と「ひとつ」であるイエスは、私との関係においても、何の隔たりもなく、「ひとつ」であると言われるのです。
「ひとつ」ということは、「常に共に在る」ということです。主イエスは、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節)とも言われ、その言葉通り、御自分の命を与え尽して、十字架上で死に、復活されました。復活された主は、私たち一人ひとりに新しい命の息を吹きかけ、それぞれの人生の只中に共におられ、絶えず新しい命に生きるよう介入される方なのです。
こうした体験を積み重ねた私は、「聖書のみ言葉は、生きている神のいのちの言葉」だと実感せざるを得ません。