ときどき、小さなうそをついて世渡りをする人がいます。自我を通したりちょっとだけ得をしたり、ときには相手の犠牲の上に自分の目的を果たしたりするために、うそで切り抜けるのです。日本には「うそも方便」という言葉があり、誰も傷つかないうそや、救いにつながるうそは許される風潮があるように思います。
たしかに、何でもグサグサ言えば良いわけではないし、ときには心を保護するためにあえて真実を知らせないであげる配慮も「あり」でしょう。
しかし、私の経験では、うそは必ずいつかあばかれます。うそをついているそのときには、世渡り上手な人がうまいこと切り抜けて得をしているように見えます。でも、たとえば長年のデータ改ざんや著名人の不倫、さまざまな不正が明らかになって騒ぎになっている昨今の情勢一つ見ても、うそは必ず白日の下にさらされ、うそつき本人に対して結果をもたらすことが分かります。
「そのうそ、ばれてるよ」
うそに気付いたとき、私はそんな言葉を飲み込みながら、あの聖書の言葉を心の中で相手に投げかけます。不正を受けてもきっと大丈夫。神様は、黙っているようで、ちゃんと見ておられるのだと思います。