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目覚める

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

「たえず目を覚ましていなさい」とはよく言われることですが、これがあんがい難しいのです。

じぶんにとって良いとき、つまり物事が成功しうまくゆき、周囲の人々から賞賛を浴びているようなときがアブナイ。

失敗し、挫折し、落ち込んでいるときには、自分や人の心をまっすぐ見つめようとし、本当のところを見据え、受け入れやすいように思われます。ああ、もう最悪、などというときは、どのみち「良くない」「悪い」状態にあるのですから、これ以上悪くなってもタカが知れてるとひらき直ることもあります。これはもう、恐いものナシ、の境地ですね。

だからといって、ずっと失意の中にいる方がいいなんて思いません。そうであったら、人生暗くなってしまうでしょう。これはもう、「神さま、すべてはあなたの掌のうち、御心のままになさってください。お委せします」というしかありません。「いいですか、おまかせしちゃいますよ、」と。

では、どこまでゆくと「目を覚ましている」といえるのでしょうか。

現実を、人を、ありのままに見据え、ありのままに受け入れるって、こわいことなのですね。だって、本当のこと、ありのままの姿といったって、その時代の社会状況、その渦の中に巻き込まれて、しらずしらずDNAに刷り込まれているものかもしれませんし、油断はできません。

なにもかもうまくいっているときには、舞い上がっていい気にならず、「さてもよいこと2つとないよ」の諺を思い起こして気をひきしめます。

「1日に3つだけ、今日のよい事、を見つけて感謝しましょう」とは、ある方の言葉。こんな小さなことでも「目覚め」ですね。