だからといって、ずっと失意の中にいる方がいいなんて思いません。そうであったら、人生暗くなってしまうでしょう。これはもう、「神さま、すべてはあなたの掌のうち、御心のままになさってください。お委せします」というしかありません。「いいですか、おまかせしちゃいますよ、」と。
では、どこまでゆくと「目を覚ましている」といえるのでしょうか。
現実を、人を、ありのままに見据え、ありのままに受け入れるって、こわいことなのですね。だって、本当のこと、ありのままの姿といったって、その時代の社会状況、その渦の中に巻き込まれて、しらずしらずDNAに刷り込まれているものかもしれませんし、油断はできません。
なにもかもうまくいっているときには、舞い上がっていい気にならず、「さてもよいこと2つとないよ」の諺を思い起こして気をひきしめます。
「1日に3つだけ、今日のよい事、を見つけて感謝しましょう」とは、ある方の言葉。こんな小さなことでも「目覚め」ですね。