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目覚める

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

聖書に、「目を覚ましていなさい」という言葉が何回も出てきます。聖書のメッセージは、たんに「眠りから覚める」ことではありません。いろいろな意味が含まれています。

私たちの日常でも、目覚めの悪い日がありますが、その状態を考えると、「目覚める」ということがどういうことなのか、自ずと理解できると思います。

目覚めが悪い日、私は、体も頭も心も正常に動かなくなり、物事がうまく運ばなかったり、人間関係もスムーズにいかなかったりする場合もあります。そのため、周りの動きにも鈍感になったり、逆に過剰に反応してしまったりします。眠っているような状態であると、なかなか本来の自分らしさ、自然な反応や動き、関わりが自然に出てこないということです。

逆に、すっきり目覚めた日は、全く違います。朝から気持ちもよく、その日の活力も自然に出てきます。周囲にも、自分自身や出会う人々にも落ち着いて目を向ける余裕が持てて、能率よく仕事もはかどり、冷静な判断が下せます。

「目覚める」というのは、体も頭も心も、つまり、私という存在全体が眠っていない状態を指すのです。どこか、自分自身をも第3者的な視点で眺めることができる状態ではないかと思います。

しかし、眠っていても目覚めていても、外界は変わることはありません。人生は変わらず、同じように出来事は起き続け、問題と思えるようなことも起きますが、「目覚めている」なら、受け止め方が変わるのでしょう。何か問題が起きるとき、当然動揺するでしょうが、その動揺さえも穏やかに意識し、何が大切で、どう行動するのかを判断できる落ち着きを持ちなさいと、聖書は勧めているのだと思います。