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目覚める

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは、魂の救いを求めて、信仰の世界に入りました。そこでいろいろなことを学び、経験しました。経験したといいますのは、神さまと一致するという救いを得るためには、悪いことを避け、善いことを行い、一生懸命、お祈りをするという修行が必要だということで、わたしなりに一生懸命努力したつもりです。そうして、修道院にも入り、神父にもなりました。それで、救いが得られたはずではないでしょうか。しかし、実際はそうではありませんでした。

信仰生活に入って、もう75年以上にもなりますが、救われたという実感はあまりありません。どうしてでしょうか。

それは結局、考え方が間違っていたからでした。善いことをし、正しいことをしていれば、神さまはご褒美として、救いを与えて下さるに違いないと、長年考えていたのです。これだったら、神の前で善業したからということで、神さまは報酬として救いという天国を与えてくださるということになるのではないでしょうか。

しかし、真実はそうではありません。神さまは条件付きで人々を救っておられるのではありません。無償で無条件の愛をもって、永遠の御国に救ってくださっているのです。人間は神さまが愛を込めて創造された最高の傑作の一つだからです。

旧約聖書の「創世記」の1章には、次のような言葉が記されています。簡略に言いますと、「神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。そして祝福された。・・見よ、それは極めて良かった。」と。(27~31)人は、自分がすでに神の像として救われているのだ、という真実に目覚めるとき、救いが実現するのです。

後は、神の像らしく、生き、動き、存在することです。