2018年06月14日の心の糧


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悔い改める

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ >先日、教会のミサで、「善いサマリア人の話」が朗読された。その概要は・・・ (参:ルカ10・30~37)

「ある旅人が強盗に襲われて身ぐるみ剥がされ、半死半生で倒れていた。そこへ祭司とレビ人が通りかかったが道の向こう側を歩き去った。ところが旅をしていたサマリア人はこの人を見て近づき、怪我の手当てをしてロバに乗せ、宿に運んで介抱した。翌日、宿の主人にお金を渡して世話を頼み、費用が不足したら帰りに払うからと言って仕事に出かけた。イエスは言われた。『あなたもこの善いサマリア人と同じようにしなさい。』 」

聖書のこの話を聞くと、私は自分の愛と勇気の足りなさを思って心が痛む。もしこんな場面に出遭ったら、私も祭司たちのように道の向こう側を通り過ぎてしまうだろうと想うからだ。日常でも悩み苦しんでいる知人がいても、その人の苦しみを我が事のように感じて助けてあげているだろうか?助けたつもりでも、自己満足だったり、その方の負担になっていないだろうか? 

「隣人を自分のように愛すること」は本当に難しい。この善いサマリア人の心の持ち方をお手本にしたら出来るのだろうか?

 

この善いサマリア人は、いつも謙虚に神の恵みを受け、感謝して生きていたのだろう。それで自分が神に愛されたように他者を愛したいと常に想っていたのだと思われる。だから助けを必要とする人を見た時、その痛みを肌で感じて適切に助けることが出来たのだ。

 

未熟な私も、ありのまま神に愛され、助けられ、導かれて幸せに生きてきた。その大きな愛を感謝して受けるだけでなく、周りの人にお返しすることをもっと積極的に心がけよう。そして私も隣人を我が身のように愛する行いが少しでも出来るようになりたいと切に願うのである。