どちらかと言えば、闇や困難の中にあると感じている人たちに対して、それでもイエスは「世の光」である、と告げます。なぜ、イエスはこのように力強く宣言するのでしょう。
聖書によると、天地創造の初め、全てのものをお造りになった神は、人間をもお造りになりました。その時、神は「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」と人間を祝福されました。(創世記 1・28)
さらに聖書は告げます。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(同 1・31)
人間は、その存在の初めから、神によって祝福で満たされ、極めて良いものとして、神によって愛でられた存在なのです。すなわち、生まれつき善いものである、という徹底的な性善説を主張しているのです。
イエスのこの言葉は、今日の私たちにも同じように響きます。
「あなたがたは世の光である。...あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と。
たとえ八方ふさがりの最中にあっても、苦しみや困難の内にあっても、何事もうまくいかず途方に暮れていたとしても、それでも、イエスは「あなたがたは世の光である」と私たちに告げられるのです。この光は、天地創造で最初に造られた光ではないか、と私は考えています。
神様から愛でられた存在として、一人ひとりが持っている光、本当の善い自分をさらに輝かせていくように、とイエスは呼びかけます。