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愛でる

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

「愛でる」というテーマを与えられて、私は嬉しい気持ちになった。書きたいテーマだったからである。

私がまだ若い30代の頃、こんな情景を見た。近所の路面電車の歩道を歩いていると、前を体格の良い初老の男性が小犬をリードにつないで歩いていた。時々、横を見たので、その人の顔もわかった。いかつい顔であった。

と、その時、大型のトラックが横を走った。

すると、小犬がほえた。

その男性はすばやく小犬を抱き上げると、「おお、恐かった、恐かったなあ、お父ちゃんが悪かった。かんにんな」と小犬に謝り、いとおしそうに小犬の頭を撫でた。

犬は鳴きやんだ。

ほんの一瞬のことであったが、深い感動と共に1枚の絵のように私の脳裏に焼きついている。

ふだんはにこりともしないようないかつい顔の人が、小犬に対して、見せた愛情が忘れられないのである。

私の父母は、人を見かけで判断してはいけないということを常々いっていたが、そうなんだと納得したのであった。

ご近所に住んでいた男性が先日亡くなった。

80歳くらいであったろうか。50代の頃妻を亡くし、その後一人暮らしであった。

近寄りがたいものがあり、ほとんど誰ともつき合いはなかった。

しかし、私は家の前を通りかかると、一方的によく話しかけた。家の前に植木鉢が数個あり、毎朝手つきの鍋に水を入れてかけていた。

暑い日のこと。「植木も熱中症になったらかわいそうやからね」とぽつりといった。

この人の心にも植木を愛でる心がふんだんにあったのだと気付き、心が明るくなった。