私は毎日「覚え書きノート」をつけていて、その日、反省し、神さまにおわびしなければいけないことは書きとめている。
もし、私が朝になっても起きて来なくて、召された場合、家族の者が、前夜、私の書きとめた覚え書きノートを読んで、ちゃんと反省し、神さまにもおわびしていることを知ったら、悲しみの中にも救われるものがあるかもしれないと思うのである。
「今日は自分が一番若くて、一番年をとった日、かけがえのない今日である」という自覚をもつなら、日常の中で出会う人たちに対し、やさしい気持ちになれるにちがいないと思っている。
昨夜、スーパーに買い物に来ていた親子3人連れがいた。若いお母さんは赤ちゃんを抱き、あと3歳、2歳くらいの女の子であった。その上ふたりが、スーパーを出たあと、立ち止まって「失礼します。おじゃましました」と自動ドアに向かってお辞儀をしていた。お母さんに「お行儀よく育てられましたね」と声をかけると「ありがとうございます」と御礼をいった。私は昨夜の覚え書きノートに「あの幼子のように、いつかこの世から旅立つ時、『失礼します。おじゃましました』と感謝のことばをのべたい」と記した。