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新たな一歩

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

私たち人間は、絶えず前に進もうとし、自分自身を発揮していくことを喜びとする生き物であるらしい。前に進まないではいられないくせに、努力をふり絞らないと新しい一歩を踏み出せない苦労の多い生き物でもある。

子どもの頃、或る演芸番組を見た。2組の若手漫才師が面白さを競うコーナーがあり、その日も1組が勝ち、1組は負けた。番組の終わりに、出演者全員が舞台に並んだ時、負けた二人組は悲しそうに後ろの列で、皆の陰に隠れるように立っていた。すると、司会をしていた先輩漫才師が怒鳴ったのである。「遠慮せんと、前に出て来い!後ろにおるから負けるのや。人に勝とうと思たら、何でもええから前へ出て来い!」。そして彼は本当に2人を引っ張って、前列の中央に立たせてしまった。

何という無茶なことを言うオジサンだ、と私は呆れ、2人の若者に同情したが、不思議に「何でもええから前へ出て行け」という言葉は強く心に残った。確かに、上手になってから、世間に出て行こうと思っていては、いつまでたっても上手にはならない。前へ出て行き、経験を積むことによって、人は段々上手になっていくのである。そして競争に負けたとしても、自分が新しい一歩を踏み出したことに比べれば、それは些細なことなのだ。芸人なら、勝とうが負けようが、ニコニコして、まずはお客に顔を覚えてもらえばよい。

巨大な樹木も初めは小さな芽から芽吹く。新しい一歩は小さな勇気で始まるのだ。

その先輩漫才師は才能ある人で、怒鳴り声もすさまじかったが、2人を引っ張った手は暖かかったと思う。

もう亡くなって久しいが、彼の無茶な励ましをなつかしく思い出す。