ルカ福音書には、イエスが十字架上での最期を遂げ、落胆した2人の弟子が復活されたイエスに出会う信仰体験が語られています。
彼らは、救い主としてイエスに大きな希望をかけ、絶大な信頼を寄せていました。しかし、イエスの十字架上の死によって、その期待は無残にも裏切られてしまったのです。
彼らは、共に歩み、話しかけるその人が復活されたイエスだと気付かずに道を歩いていました。
「一緒に食事の席に着いた時、イエスはパンを取り、 ・・・パンを裂いてお渡しになった。すると2人の目が開け、イエスだと分かった」とあります。(ルカ24・30~31)
この2人は、それぞれの人生の中で共に歩んでくださる主イエスに気付かない私たちだとも言えます。今も、教会で、イエス・キリストの代理者である司祭が「パンを取り、・・・パンを裂いて」、共にミサを捧げる度に、私たちは、イエスの現存に新たに目覚めさせられ、目が開かれるように促されます。
主の「復活」は、二千年前に起きた単なる出来事ではありません。人間が避けて通ることのできないあらゆる苦しみや不条理な現実、そして死さえも越えて、主イエスは復活され、今も生きておられるのです。
主は、死の世界から、神の愛の交わり、新しい「いのち」に私たちを招くために復活された・・・これが、私たちキリスト者の信仰の核心なのです。