▲をクリックすると音声で聞こえます。

ゆるし・いやし

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

人をゆるすのは難しい。「いつまでも相手を恨んでいても仕方がない」とか、「嫌いな相手のことを考えるのは時間の無駄」などと言われると、確かに頭ではその通りだと思う。だが、心の底に何か割り切れないものが残り、相手をすっかりゆるすことができない。

2・26事件でお父様を殺害された体験を持つ渡辺和子さんが、こんなことを話しておられた。戦後、何十年もが過ぎたある日、渡辺さんはテレビの番組に呼ばれ、2・26事件に参加した加害者側の元兵士と対面することになった。渡辺さんはそのときもう修道女になっており、神の教えに従って相手のことをゆるしたつもりでいた。だが、実際に元兵士と向かい合うと、コーヒーカップを持つ手が震えて止まらなかったという。そのとき渡辺さんは、自分がまだ心の底で相手をゆるせていないことに気づいたそうだ。

これは、もっともなことだと思う。暴力や裏切り、ひどい言葉などによって相手から深く傷つけられたとき、相手を簡単にゆるせるものではない。心の傷がひどく痛んでいるときに、傷つけた相手のことをゆるせるはずがないのだ。傷つけた相手を忘れることも、怒りや憎しみが湧き上がってくるのを止めることもできない。それが人間の限界だと、素直に認める必要があるだろう。

わたしたちには、自分が受けた心の傷を癒す力がない。それゆえ意思の力だけで相手をゆるすこともできないのだ。相手をゆるせない自分を責めるのは、むしろ傲慢と言っていいだろう。ゆるしは人間の力を越えたことであり、むしろ神の領域に属している。謙遜な心で、「どうか、心に受けた傷を癒してください。いつか相手をゆるすことができますように」と祈りたい。