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ゆるし・いやし

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

子供の時、妹とケンカをしてゆるせないことがありました。

そんなある日、ひとつの聖書の場面が心に浮かんで離れません。

それは、王様に莫大な借金をしていた家来の話でした。王はすべてを返すようにと要求しましたが、たとえ一生涯働いても、とうてい返せない額だと悟ると、家来があわれになりました。それですべてを帳消しにしてあげました。しかし、家来は外に出ると自分にわずかな借金をしている仲間に容赦なく取り立てをしました。そして「もう少し待ってくれ。必ず返すから」とひれ伏して頼む彼を牢に入れてしまったのです。それを見ていた別の仲間が心を痛めて王に話しました。王は「不届きな家来だ。お前が頼んだから借金を帳消しにしてやったのに。おまえも仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と言ってこの家来を牢に入れてしまったのです。(参:マタイ18・32)

私は子供でしたが、この話の意味をよく分かっていました。神であるイエスさまが、私たちを無条件でゆるし、十字架の死によって罪の償いを代わりに果たしてくださったのに、私たちが仲間の小さな過ちをどうしてゆるせないのか、ゆるせるはずだよ、という呼びかけです。

この時、私が何をゆるせなかったのかは、もう思い出せませんが、聖書の話がくっきりと浮かんで消えなかったことは、はっきり覚えています。

私たち人間は、神さまがゆるしてくださったことを思い出さなければ、なかなか人をゆるせないものです。しかし、「ゆるそう」と決めると、つらい思いや傷ついた気持ちが徐々に癒やされていきます。それは、握りしめていた怒りや恨みなどを手から放すからでしょう。

相手をゆるすことで先に自分が救われるのは不思議です。これは神の恵みです。