私は子供でしたが、この話の意味をよく分かっていました。神であるイエスさまが、私たちを無条件でゆるし、十字架の死によって罪の償いを代わりに果たしてくださったのに、私たちが仲間の小さな過ちをどうしてゆるせないのか、ゆるせるはずだよ、という呼びかけです。
この時、私が何をゆるせなかったのかは、もう思い出せませんが、聖書の話がくっきりと浮かんで消えなかったことは、はっきり覚えています。
私たち人間は、神さまがゆるしてくださったことを思い出さなければ、なかなか人をゆるせないものです。しかし、「ゆるそう」と決めると、つらい思いや傷ついた気持ちが徐々に癒やされていきます。それは、握りしめていた怒りや恨みなどを手から放すからでしょう。
相手をゆるすことで先に自分が救われるのは不思議です。これは神の恵みです。