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ゆるし・いやし

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

2016年3月、イエメンでの神の愛の宣教者会の聖堂と老人福祉施設がイスラム過激派によって襲撃された。4人の修道女が殺害され、多くの怪我人が出た。インド人のトマス神父はこの襲撃のさなかに拉致された。その後、トマス神父の所属する修道会から、彼の解放のために祈ってほしいという願いが世界中に配信された。私の所属する教会の小さなロザリオの会でも、無事を願うためロザリオを唱えた。

トマス神父、解放の日は突然訪れた。2017年9月、トマス神父が18カ月ぶりに私たちの前に姿を現した。フランシスコ教皇の足元にぬかずくトマス神父がいた。やせ細ったトマス神父の姿に、受難を経て復活したような不思議な佇まいを感じた。「自分のために祈ってくれた人びとに感謝するとともに、イスラム過激派の人びとにも感謝する」と話した。

2017年10月、トマス神父が所属する修道会の元総長が来日するという。その講話を聴きたいと願った。講話のなかでトマス神父の話をされるのではないかと思ったからだ。講話は愛の話になり、自然にトマス神父の話になった。トマス神父を支えていたものは何かと聞いた時に、「毎日、心のなかでミサを献げていた」と答えたそうだ。司祭の献げる最高の祈りであるミサの力を思った。家に戻るとミサの式次第を読み返してみた。

ミサの始まりには、自分の罪のゆるしを願い、イエスのみことばを聴く。その後、パンの形になったイエスのおん体とおん血をいただく。ミサは、天上と地上をつなぐ最高のゆるしといやしの場だ。トマス神父にとって、イスラム過激派の人びとも自分の友となっていったのだろう。

敵までも友として感謝したトマス神父の司祭としての愛に、キリストを見る思いがする。