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ゆるし・いやし

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

「自分が人ばゆるさんじゃったら、今度は自分が神さまからゆるされんとよ」と父母は常々いっていた。

幼少の頃から聞かされて育ったので、この世の中は、ゆるし、ゆるされして暮らしていくものだと思って成長した。

しかし、そう思って暮らしていたはずの私も、これまでの人生の中で、何度か、あの人だけはゆるせないと思ったことがあった。

私は五島の高校を卒業しただけの学歴で作家になったので、そのことを理由に陰口をたたかれたことがあった。

ある新聞の企画で、高名な作家の方と対談することになった時、それまで信頼していた新聞社の担当者が「あの人にはその役は無理。田舎の高校しか出てないんだから。あの人がするくらいなら、わたしが出ます」といったと、出版社を通じて聞いた。驚き、その後、怒りに変わった。

そのことを、まだ存命だった五島の母へ伝えたところ、一緒に怒ってくれるかと思ったのに、「なんの、なんの、あがの性格が悪かとかいわれたんじゃのうて、今更どうにもならんことでいわれたんじゃけん、よかじゃん」と淡々といったのでがっかりした。

人間は自分で生まれてくる場所も選べないし、学歴もその家の経済状態が左右するから、いかんともしがたい。

母のいうこともよくわかったが、心の狭い私は、それからしばらくその人をゆるせなかった。しかし、71歳になった今、大腸ガンの手術をした今、その人のことをゆるせる。

その人だけでなく、折々に腹を立て、ゆるせないと思った人、すべての人をゆるせる。

それは、年齢的にも体力的にも死に近づいていることを感じる今、神さまからゆるされたいという思いがそうさせているのである。