私が信じている神様は「愛そのもの」と言われていますが、その愛である神様がおられるこの地球での色々の悲劇を見ますと、その神様に向かって、ぶつぶつ文句を言います。この文句がもしも言えなくなりましたら、私は多分心の病になるでしょう。私が心の奥でつぶやく言葉は、世間様に云えない酷い言葉なので私自身が汚れていくのを感じます。しかし、信仰の賜物といいますか、愛である神様と自問自答をしていくうちに、私のドロドロした心が清められ、ゆるしといやしが与えられるのを感じます。
青春時代から30代、40代の頃は、神様は何となく恐ろしいようなイメージがありましたが、多少色々の人生体験を積んだ今は、神様を恐れる感情はあまりなく、気楽に神様と自問自答しています。
気楽になれた理由は2つあるようです。1つは自分の限界を意識化出来たので分析をしなくなったこと、2つ目は神様への信頼感が大きくなったからでしょう。人生での不信感、罪悪感、絶望感の処理方法が、体験の蓄積によって、自分流の解決方法に少し気づいたのかもしれません。
神様は、若い頃には必要な厳しい試練を与えられ、そして、年齢相応に必要な知恵を与えて下さるのが、神様の愛のようです。