居場所を映像で送って誘い、検索マップで場所を見て、すぐ、駆けつけて会えるという、なんとも便利な世の中になりました。
電話よりSNSで送信する連絡方法が増え、ニュアンスある言葉が減ってきています。
そのせいでしょうか、黒板に白いチョークで書かれた「ゴメンナサイ」の文字が妙に懐かしい事があります。たどたどしい片仮名あり、漢字を交えた行書体あり、平仮名の走り書きありで、お詫びをした人の年齢や性別が想像でき、それぞれに小さなドラマを感じたものです。後で「もう大丈夫」とか、「気にしてないよ」「お互い様」とかいう言葉が温かい声で発せられ、ゆるされた事でしょう。
この頃「御免なさい」が言えない人が増えたと、ラジオでコメンテーターが発言していました。謝れないのは、人がバラバラに生きていて、「ゆるし合う」というような互いに関わり合う生き方をしなくなってきていることの表れではないでしょうか。
素直にゆるしを乞える人は立場が変わった時、大きな心で相手をゆるせる人でもあります。
聖書には「見失った羊」や「放蕩息子」の例え話でゆるす愛が示され イエスが十字架にかけられる時「父よ、彼らをおゆるしください」と言われたと書かれています。
ゆるせず逆上し、殺傷する事件が多発する今、ゆるしの心を切に祈り求めます。