そんな中でも修練期に入り、「自己発見」のワークショップに参加して、主キリストと共に自分自身を静かに見つめ直す機会をいただきました。そして、それまでの人生の主な体験の一つひとつを思い起こし、幼少時の体験によって深く傷ついた自分と、自分の中にくすぶっていた強い感情に気付きました。本来の自分自身に出会い、正直な気持ちを意識した時は、本当に驚き、涙が止まりませんでした。それまで、自分自身をどこかで否定し、責めていた私でしたが、初めて、辛かった気持ちを素直に認め、精一杯生きて来た自分自身を「よく生きて来たね」と受け入れることができたのです。
同時に味わったのは、十字架上の主キリストの深い眼差しでした。
主は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人である」と言われます。(マルコ2・17)主は、私が自分自身と和解し、自分をゆるすことを通して癒しの恵みをくださいました。「主はこの私を癒し、ゆるすために人となり、来てくださった」と、心から実感する体験だったのです。