そこでアブラハムは主の御前に進み出ます。これぞ、アブラハムの面目躍如といったところです。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が50人いるとしても、それでも、その50人のために、町をお許しにはならないのですか。あなたがそんなことをなさるはずはございません」。
主は言われた。「もし、ソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために町全部を許そう」。
アブラハムは更にくい下がり、「塵芥に過ぎない私ですが、もし30人しかいなくても・・」とか、少しずつ人数を減らしてゆき、「主よ、どうかお怒りにならず、もう1度だけ言わせて下さい。もしかすると、10人しかいないかもしれません」。
主は、「その10人のために私は滅ぼさない」と言われ、去って行かれた、とあります。(ここまで・参:創世記18章)
こうして、必死で執り成したわけですが、何ともユーモラスで人間味がありますね。
新約聖書では、カナの婚宴に招かれた主イエスとマリア様の葡萄酒をめぐる執り成しもあります。
そして、私達自身も、今は天にいる聖人たちがきっと執り成してくださっているでしょうし、私達も互いに祈りながら執り成しあっているのではないでしょうか。