彼の詩は、自分を世界の中心におく自己表現からはるかに遠く、 蚊やヤギや魚、月や星、 生きもの、生きていないものたちを、ひとしく「在るもの」としてうたいます。「ぼくが ここに」という詩のなかで、
どんなものが どんなところに いるときにも
その「いること」こそが なににもまして
すばらしい こととして
とあり、動物でも植物でも、石ころでもボタンでも、いつくしまずにはいられない。
そうして、そのいつくしみの底のほうにはたとえようもなく悲しみが滲んでいるのです。
神さま、この悲しみはあなたのものではないでしょうか。
「他の生物は、腹がすいた時に他の生物を自分のなかに取り入れるのに、人間は、腹がへろうがへるまいが、その尽きることのない快楽の追求のために、生きているものを殺したくなってしまう」と、まどさんは言っています。
わたしたち人間は、他の生きものにたいして心の痛みを覚えずにはいられません。
神さまからいただいた生命に与っているわたしたちにとって、他の生きもの達の存在は生命のふるさと、痛みそのもの。
とりなしをしてくださるかたはどなたでしょう?
十字架の上で死んでくださったあのかた。
生きてあるすべてのもののとりなしとして。