30年前、私たち姉妹はそれぞれ結婚し、別々に暮らしていました。父が春と秋に誕生会を開いてくれました。しかし、全員集まることができませんでした。子供たちが病気で家を離れることができなかったり、婚家の両親の病気や介護にかかりきりだったりして、お祝いどころではなかったのです。そんな状態の姉妹を父は心配していたのでしょう。病気で死期を悟った時、私たちに「姉妹仲良く」という遺言を書いたのだと思います。
その後、姉妹の子供たちは成人し、親から手が離れるようになりました。しかし、家庭の事情で甥や姪の結婚式にも出席できない姉がいました。出席した私たち姉妹は、「残念ね。出てこられるようになると良いわね」と口々に言ったものでした。
父が亡くなって30年が経ちました。いろいろな事情で集まれなかった姉が先頭に立って計画を立て、遂に4人全員が集まることができたのです。姉の希望だった函館山からの夜景は、天候に恵まれ、それはそれは美しかったです。帰る日まで周りがあきれるほど、よく話し、よく笑いました。
こんな幸せな日を迎えられたのは、父が、バラバラになってしまいそうな私たち姉妹のために、とりなしを祈ってくれていたからに違いありません。