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とりなし

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは、神父になって50年以上経ちますが、厳密にいえば、「とりなし」ということをやったことがない。相争っている2人の仲を取り持って、両方の主張や言い分を聞いて、足して2で割るという仲介を経験したことがないからです。

わたしは、職業が教師だったもので、物事の道理や事物の良し悪し、モラルや道義の有無については、よく話してきました。その中で、利害関係が相克するようなケースにぶつかった時は、友人に法律の先生や弁護士などのプロがいましたので、相談はしたことがあります。紛争を処理する立場の弁護士たちは、それなりの専門の知識や道具を持っているので、それをもって問題の処理に当たります。

宗教家である神父は、一般的にそういう権能も能力もないと、わたしは思います。やはり、紛争処理は、警察のような専門機関に任せるべきではないでしょうか。

宗教家としての執り成しとは、利害関係の相克する双方の言い分を聞いた後で、神さまに「どうしたらいいでしょうか」とまずお祈りします。もし神がインスピレーションを与えてくだされば、それに従って、両者に和解を説きます。足して2で割るというほど合理的にはできないが、人間にとって一番大事な心構えは、愛すること、赦すこと、受け入れることと説き、お互いが和解する気持ちになったならば、10ある利益を半分にして、五分五分ではどうでしょうか、と諭します。

神さまがすべてをご覧になっていますので、自分が少し損をしたと思っても、相手が少しでも良くなればそれで良いと、落ち着いて決断するなら、その人は神さまからどれほど祝福されるでしょうか。人に与えて損をしても、報いは数倍になって戻ってくるでしょう。