「貧血がひどいの。食欲もないのよ」。
一人暮らしの彼女を心配した友人たちは、彼女の好物をいろいろと届けました。しかし、なかなか回復しません。
検査入院をすることになりました。結果は末期の胃がんでした。
見舞いに行くと、案外元気そうにしていました。看護師さんは、「お友達にはこんな笑顔を見せるのね。食事はちょっとも食べてくれないのに」。看護師さんが去ると、Tさんは言います。「ここの病院は、超一流よ。食事のまずさで」。
Tさんは、胃にステントを通す手術をしました。すると、いくらか食事がとれるようになり、退院したのです。食事がとれたのは束の間でした。秋になると、1人で歩けなくなり、再入院しました。見舞いに行くと、私と彼女はハイタッチをしました。色白の彼女の手は、すべすべしていますが、ひどく冷たいのです。私は両手で彼女の手を包み温めました。
秋も深まったある日、付き添っている娘さんから電話がありました。「母がこん睡状態です」。すぐに私は病院へ駆けつけました。「Tさん。Tさん」そっと呼びかけながら、彼女の手を両手で包み込みました。ゆっくりとぬくもりが広がっていくと、彼女の表情が和らぎました。なんだか微笑んでいるようです。
翌日、彼女は娘と息子に見守られながら、旅立って行きました。
私にはたくさんの思い出と共に、最期の手のぬくもりが残されました。