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とりなし

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

「守護の天使に祈ってるね?」と、要理を学んでいるときの教え方さんがよくおっしゃっていました。「守護の天使はね、あんたたちが行くところに、そっとついてきて、助けてくれるとよ。忘れたらいかんとよ」。

また、そのころから母親が、寝る前に一緒に祈りをしてくれるようになりました。初めて教会に行き始めたころの話です。わたしが小学校2年生。そして、母親との祈りの中に、「守護の天使」への祈りが必ず入っていたのです。さらに、保護の聖人へのとりなしの祈りも入っていました。

カトリック信者のご家庭では、無意識のうちに、祈りの中でマリアさまの取次ぎを願っているのではないでしょうか。

この「取次の祈り・とりなしの祈り」を大事にするということは、わたしたち人間だけの力ではどうしようもない事柄が多いということの証明でもあります。つまり、わたしたちは目に見えない何かに支えられて、その方の力がないと目の前に展開されていくステージに上がることができないのです。意識の中では肯定していなくても、自ずと実践していることです。

空気があること、水が飲めること、食べるものがあること、何よりも健康でいられること等、無くなるとすぐ「文句」は出ますが、そのものがある時は「当りまえでしょう」という風に思っていないでしょうか。

わたしたちの身近にあるものは、それを仲介してくれている方がいます。農家の人であったり、その他の生産者であったり、五感で感じることのできる限り、仲介者の存在は確認できます。

でも、確認できないところでは、わたしたちは、実は、悩みぬいて、すがる思いでいます。この思い、手を合わせる心は、はたしてどこに、誰に、向かっているのでしょう。