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とりなし

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

先祖の霊に祈る人は意外と多いようである。友人の1人は、ご主人が癌を患われた時、亡くなった曾祖父母にまで「あなたの孫なんですから・・病気を治してください」と祈っていた。また別の友人は、陽あたりの良い出窓を清め、亡くなった両親の写真を置いて、お花を供え、祈っている。彼女の素晴らしいところは、自分にあまり親切でなかったお姑さんの写真もちゃんと置いていることで、こんな誠実なお嫁さんに心をかけなかったことを、今頃お姑さんは後悔しているかもしれない。彼女は写真に、朝には「お早うございます」、夜には「おやすみなさい」と、ごく自然に挨拶をし、話かけている。こんな風に大事にされれば、亡くなった方の霊も、この家族が助けを求めた時には、神にとりなしをしてくれるのではないだろうか。そしてそれを信じて、彼女もまた、心が安らぐのだろう。

友人たちの祈りは、彼女たちの良き心ばえから生まれているように思う。そして、その心ばえの中にあるものは、亡くなった後も変わらずお互いの間にある家族の愛情である。死後の世界も、家族が住んでいて、そこから見守ってくれているのだから、彼女たちにとっては、親しく近い存在であるに違いない。

幼い頃の私も、聖母マリアによくお祈りをした。母なる方は子どもに心を寄せてくださり、とりなしをしてくださるのだと、誰に教えられなくても知っていたようだ。その時の幼い素直な気持ちを、友人たちの中に見つけられるように思うのである。信じる心や祈りに様々なかたちがあり、だがそれらは同じ祈りであるのだと気づく時、世界と人々は、親しく一つになっているように思う。