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ぬくもり

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

カトリックの司祭、修道者として独身を生きる私にとって、人にどのようにして人間的な温もりを提供するかという事は、長年に亘る懸案の一つでした。日常生活で人を抱擁することにも慣れていない私が、自分の立場でどのように人間的な温もりを人に伝えれば良いのでしょうか。家庭生活を営んでいらっしゃる方達が醸し出す何とも言えない温もりには遠く及ぶはずもありませんが、自分の立場で何かできないか考える日々です。

温もりということに関して、最近、私の脳裏に浮かんでくる人々は、温もりから遠く隔たった場所に置かれてきている人々のことです。

例えば、旧約聖書の中に登場する重い皮膚病患者は、独りで宿営の外で生活しなければなりませんでした。加えて、他の人たちの側を通る時には、「私は汚れた者です」と言って、周りの人たちに知らせねばなりませんでした。新約聖書中には、イエス様が、ある村に入られると、重い皮膚病を患っている10人の男が遠くの方に立ち止まったまま、「イエス様、先生、私達を憐れんで下さい」と叫び、その後彼らが癒されたことが記されています。(ルカ17・11~13)彼らは、人に近づくことが赦されていなかったので、「遠くに立ち止まったまま」懇願したのです。彼らに対するこのような処遇は、国を問わず、時代を問わず、共通しているものがあります。

私は彼らのことを思う時、どんなにか人の温もりに飢え渇いていたのではないかと想像します。彼らの苦しみには及びませんが、私も人の温もりが恋しくなる時、その苦しみを彼らの為に捧げることができたらと思います。

社会の中で疎外されている人々が、少しでも人の温もりを感じることができますようにと祈るばかりです。