手の中の小鳥は、見かけの半分くらいのボリュームしかありません。そんな小さな体でまどろむ小鳥に話しかけていると、温もり以上の何かを感じます。
小さな心臓が大変な速さで鼓動していて、その振動が、まるで小鳥が震えているかのように伝わってくる感じ、羽毛が私の手の温度を吸収して返してくる感じ、自分の千倍の大きさの人間につかまえられて、恐いことしない?と問いかけてくる気持。
「大丈夫だよ、安心してね」
私の言葉は通じているように思えました。そして、彼らのか弱さからは信じられないようなエネルギーを感じるのです。こうして、小鳥と私は互いのぬくもりを伝え合いながら「命が刻む時間」を共有したのでした。
実は、昆虫観察で虫を手に取ったときも、鳥と同じことが起きました。虫には体温がないのでこちらに温もりが返ってくることはないのですが、虫たちも私の手のなかで、気持ち良く休んでいました。私の手の温もりを受け止めてリラックスし、鳥と同じく命が刻む時間を共有したのです。
人間同士も、ハグや抱っこを通して温もりを交換することで、命が刻む時間を共有します。言葉が通じなくても、温もりは通じるのです。
温もりとは、体温の高さに関わらず、命が刻む時間を分かち合うためにすべての生物に与えられた共通の言語なのかもしれません。