最近、正月になりますと小学生の頃のことを思い出します。毎年、父親と一緒に年始のあいさつに回ったものでした。何軒かを回るのですが、どこにいっても同じような挨拶と話題で終始します。わたしにとってはとても退屈な時間でした。が、「お年玉」をいただくことによって「我慢しよう」と、いってきかせていたような気がします。
そして今気づくのです。自分が、今、行っている仕草、作法等、ひょっとするとあの正月の年始回りの時の、父親の姿ではないかと。父親の言葉使い、挨拶の仕方。父親にしてみれば、年始のあいさつだけはしておかないと年が明けなかったのでしょう。毎年の恒例行事でした。
現代では、それに代わる何があるでしょうか。育ちのエネルギーは、身近にいる親の言動にあるのですね。あらためまして、親のすごさ、ありがたさが身に沁みます。だから、親に代わることのできる人はいないのです。
こうした子育ちの現場が、年々廃れていくことはさびしいかぎりです。今年の正月は欲張って、今一つ願いごとを加え、神さまに聞きいれていただきましょう。