今でも覚えているのですが、その施設では毎年クリスマスの時期になると、恒例行事があります。無言の聖劇です。音楽に合わせて障害者の方々が、マリア、ヨゼフ、羊飼い、博士たち、天使等を演じるのです。一言も言葉を発しません。ところが、この一言も発しないことで、役をもらった人たちは1ヶ月ほどの練習の間、同じ演技を繰り返し、その役柄そのものになっていくのです。
いつも、冗談を言い、大きな声で落ち着かない人が、ある年はヨゼフの役につきました。すると日が経つにつれ、落ち着いた様子に変わり、顔もほんわかしていたのが、だんだんと凜々しくなっていくのに、皆びっくりしました。
本番での、まるで異次元の世界のような演技が、那須町の人々に深い感銘を与え始めました。それで、ある年から、那須町の公民館で一般の人々にも公開したのです。
この聖劇に出会い、役を演ずることによって、本質に深くふれ、イエスの誕生の喜びが、体に染み込んだ祈りに変わっていく人間の姿は、直感的に、まるで自分の人生にも起こりうることだと感じさせることが出来ると思ったのです。
イエスの誕生の喜びは、こうして聖書の語りから沈黙の喜びへと深まっていくわけです。
産もうか、どうしようか・・・。神さまから贈られた大切ないのちなのに。
そんな悩みの中で迎えたクリスマスでした。
天使のお告げをうけてマリアは聖霊によって身籠りました。と、聖書にはあります。驚き、怖れ、不安に襲われるマリア。まだ男の人を知らない処女マリアなのです。けれど「神さまにおできにならないことはない」との天使のことばに、マリアは、「はい。仰せのとおりになりますように」と応えました。
M子さんは、あっと叫んだそうです。
「そう、そうなんだわ。イエスさまのいのちは私の赤ちゃんの内に宿り、わたしの赤ちゃんのうちにイエスさまも宿られる!」
だって、マリアさまも、先行きを考えれば、怖くて不安で、どうしてよいかわからなかったでしょうに、神のみわざが自分の身体を通して成し遂げられる、救いの道具となることをそのまま素直に受け入れ、信じたのですもの。わたしの赤ちゃんがわたしのうちに宿ったのも、神さまのみわざ・・・。
イエスさまの誕生もはじめから奇跡そのものですね。
M子さんの迷いがふっきれると、周囲も変わり始めました。
祝福のうちに、やがて赤ちゃんの誕生を迎えます。
小さな奇跡です。