司祭は「赤ちゃんのイエスさまがお生まれになりました。イエスさまが生まれる前は、私たちはどのような世界に住んでいたでしょう。じゃあ、聖堂のあかりを消してくれますか」と、何人かの子どもたちに頼んだ。すると座っている子どもたちは、「まっくらだ。こわいよう!」と叫び出した。
司祭は、「イエスさまのいない世界は、まっくらです!」。この言葉に続けて、「今度は、赤ちゃんのイエスさまが、私たちのところに来てくださると、どうなるでしょう。さあ、あかりをつけてください」と、ふたたび子どもたちに頼んだ。するとさっきまでこわがっていた子どもたちは、「明るいなあ。もうこわくない」とこたえた。司祭は「赤ちゃんのイエスさまは、『光』なのです」力強く宣言した。
2~3分で、子どもたち皆が参加する司祭の説教は終わった。
子どもたちは、クリスマス・イブのミサのなかで、イエスさまは「光」であることがわかったはずだ。いつか彼らも人生の暗闇に出会ったとき、「光」であるイエスさまを思い出すのではないかと信じている。
最近、両者の繋がりを次のように思うようになりました。それはサンタクロース自身が、つまり聖ニコラス自身が、大きな贈り物をもらったので、その喜びを分かち合う為にプレゼントを配って回ったのではないか、そして今も回っているのではないかと言うことです。
その大きなプレゼントとは、救い主であるイエス様です。サンタクロースも、イエス様によって救われたのだと思います。その喜びを、他の人々と分かち合っているのだと思います。
クリスマスには、イエス様を知る人も知らない人も、世界中で同じようにイエス様の誕生日を祝っています。何とも不思議な現象です。
クリスマスを祝う全世界の人々が、真の意味でイエス様に出会って、より深い喜びを味わう事が出来すように、願ってやみません。