2017年12月23日の心の糧

誕生の喜び

堀 妙子

今日の心の糧イメージ 今から何年も前のことだが、私は子どもたちのためのクリスマスイブのミサに与った。子どもたちは、赤ちゃんのイエスさまをどのようにお迎えするのだろうと思ったからである。私は柱の陰の目立たない席に座った。

いよいよ赤ちゃんのイエスさまをお迎えするミサが始まった。司祭はサンタクロースの親分のような感じだった。その後ろから小さな侍者が二列になってぞろぞろと入堂してきた。子どもたちの元気の良いクリスマスの歌が続き、司祭のお説教の時間になった。この日のお説教は、司祭が子どもたちに呼びかけ、子どもたちが、それにこたえるような形だった。

司祭は「赤ちゃんのイエスさまがお生まれになりました。イエスさまが生まれる前は、私たちはどのような世界に住んでいたでしょう。じゃあ、聖堂のあかりを消してくれますか」と、何人かの子どもたちに頼んだ。すると座っている子どもたちは、「まっくらだ。こわいよう!」と叫び出した。

司祭は、「イエスさまのいない世界は、まっくらです!」。この言葉に続けて、「今度は、赤ちゃんのイエスさまが、私たちのところに来てくださると、どうなるでしょう。さあ、あかりをつけてください」と、ふたたび子どもたちに頼んだ。するとさっきまでこわがっていた子どもたちは、「明るいなあ。もうこわくない」とこたえた。司祭は「赤ちゃんのイエスさまは、『光』なのです」力強く宣言した。

2~3分で、子どもたち皆が参加する司祭の説教は終わった。

子どもたちは、クリスマス・イブのミサのなかで、イエスさまは「光」であることがわかったはずだ。いつか彼らも人生の暗闇に出会ったとき、「光」であるイエスさまを思い出すのではないかと信じている。

2017年12月22日の心の糧

誕生の喜び

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ 私の幼い頃のクリスマスの思い出は、サンタさんと言う謎の人物から、プレゼントを頂いていた事と、夜、家族でケーキを食べていた事です。何故、ケーキを食べるのか、あるいは、サンタさんがプレゼントを運んで来てくれるのか分からないまま、楽しい時を過ごした事だけが思い出に残っています。

大学生の頃、教会に通い始め、クリスマスがイエス様の誕生日である事を知るようになりました。また、洗礼を受けた後、サンタクロースが、現在のトルコ、4世紀の小アジアで実在した人物、聖ニコラスであった事、貧しい家庭の3人娘が身売りされることを知った聖ニコラスが、施しによって彼女達を救った事、また、普段から貧しい人たちを助けていた事などを知るようになりました。しかし、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスが、当時、何故、貧しい人たちを無償の施しを通して救っていたのか、以前謎として残りました。

最近、両者の繋がりを次のように思うようになりました。それはサンタクロース自身が、つまり聖ニコラス自身が、大きな贈り物をもらったので、その喜びを分かち合う為にプレゼントを配って回ったのではないか、そして今も回っているのではないかと言うことです。

その大きなプレゼントとは、救い主であるイエス様です。サンタクロースも、イエス様によって救われたのだと思います。その喜びを、他の人々と分かち合っているのだと思います。

クリスマスには、イエス様を知る人も知らない人も、世界中で同じようにイエス様の誕生日を祝っています。何とも不思議な現象です。

クリスマスを祝う全世界の人々が、真の意味でイエス様に出会って、より深い喜びを味わう事が出来すように、願ってやみません。


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