このことが聖書には的確に記述されています。ルカによる福音書です。生む側の喜びを伝える箇所はマリアのエリザベツ訪問です。
「あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んで踊りました。」(1・44)というエリザベツに対し「私の魂は主をあがめ私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」(1・47~55)ではじまるマリアの讃歌が続きます。2人とも自分自身の身に起こる誕生の神秘について喜びを実感しています。
かたや羊飼いと天使の箇所は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(2・10)と言われて驚き恐れる羊飼いに、天使たちは「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和御心に適うひとにあれ」(2・14)と続けます。何だろう、とにかく行ってみようと反応する羊飼いは、誕生を受け取る側の期待の歓びです。
誕生、未知なる何かが生まれるとき、生もうとする努力は神のみぞ知るであって、待っている周囲の祈りに支えられてこそ成就するのです。立場の違いを認め共に祈る深い信仰があってこそ、「誕生のよろこび」を共有できるのです。