2017年12月29日の心の糧


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求める

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ 求める、とか欲するということを、英語では何々が欠けている、不足しているというのと同じ言葉を使うようです。たしかに、私たちは、何かが不足しているから求めるのかもしれません。そして、求める、という日本語には、何かとても切実な感じがあります。そして、それにもかかわらず、なお、とても遠慮がちな感じがしますたぶん、何かを求めているという時、本来それは、具体的に、目の前のすぐに手に入るようなもの、たとえばお金を出せば簡単に買えるというようなものを言うのではなくて、何か、静かに待っているしかない、それだけに、とても大切なものを待っているという感じがあるのだと思います。心の耳を澄まして、何かを待っている、ということでしょうか?

目と耳と心を澄まして、自分でも求めているものが、はっきりと具体的な言葉にはならないようなことをじっと待っている、あるいは時が来るのを待っている。それが求めるということのような気がします。そして、そのようにして何かを求めて待つという姿勢は、結局は祈りそのものではないかと思います。

祈りながら待つ、ということは、もう全てを天にお任せして、自分では殆ど忘れてしまっている、ということでさえある、そんな風に思います。任せて、自分がいま果たさなければならないことに集中して日々を過ごす時、ふっと気がつくと、その求めていたことが、本当に不思議な形で満たされていることを発見することがあります。それをそのような形で満たされたのだと気がつくためにも、心を澄ましていなければならないもののようです。求めよ、さらば与えられん、というのはこのことだったと思います。