彼は、仕方なく1人で旅をし、3日遅れてベツレヘムに辿りつきました。そこに、ヘロデ王の命令で、近辺の2才以下の子どもを皆殺しにする兵卒たちがやってきます。彼は宝石を隊長に与え、1人の赤ん坊の命を助けます。
その後、彼は救い主の家族が逃げたというエジプトに行きましたが、どこを探しても見つけられませんでした。
33年の歳月が過ぎました。過越しの祭の時、エルサレムの町で、彼はいま処刑されようとする男のうわさを聞きます。
「ナザレのイエス」。自分が一生旅を続けて探していたのは、この方だと悟った彼は、残る1つの宝石をもって処刑場に急ぎました。
しかし、ちょうど若い娘が奴隷として売られていくところに出会います。彼は救い主に贈るつもりだった宝石で娘を助けました。
この時、空からイエスの美しい声が聞こえてきました。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の1人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25・40)
彼はイエスの誕生を祝うことはできませんでしたが、イエスは彼からの贈り物を受け取っていたのです。同様に、私たちが隣人に捧げる愛の贈り物は、イエスの喜びとなるのです。