誕生の喜び

熊本 洋

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12月25日は、クリスマス。救い主イエス・キリストの誕生を祝う、喜びと平和、和解の日であります。この日を前に、日本では、街はクリスマス・プレゼント、クリスマス・パーティーなど、"美味しい、楽しい"がみなぎります。これも、結構なことですが、世の中は、これとは全く正反対の、"苦しい、悲しい!"ことが満ち溢れ、何時、我が身に起こるかもしれない非常事態に緊迫しています。これにどう対処すればよいのか。喜びのクリスマス・シーズンに課せられた重大課題であります。

そもそも、日本では、クリスマスは祝祭日でも、休日でもなく、多くの人は、年末の忙しいビジネスに追われ、「クリスマスどころではない!」といったところが本音ではないでしょうか。

とは言っても、多くの日本人は、これまでの日本人特有の歴史、伝統、習慣、多くの試練から、絶対者を崇める心、神仏に手をあわせる心は、キリスト教徒に劣らず、持ち合わせています。

12世紀、武士で、僧侶で、歌人であった西行が、いみじくも「何事のおわしますをば知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだその心は、21世紀の私たちにも保持されています。

今や、前世紀になった1945年、広島と長崎で人類の滅亡にも関わる原爆を初体験した日本人、キリストの愛と平和の教えに共鳴、共感しないでおられましょうか!

このクリスマス、キリストの真理と真実を伝える聖書に目を止め、「...これらのことを書き送るのは私たちの心が喜びに満たされるためです」(ヨハネの手紙一 1・4)という聖書の一節を真摯に受け止め、その喜びに満たされた人生をぜひ送りたいものであります。

誕生の喜び」

越前 喜六 神父

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昔、インドの聖なる詩人、ラビンドラナタ・タゴールの詩を読んだ時に、正確な言葉は忘れましたが、「一人の赤ん坊が生まれるとき世の中がどんなに荒んでいても、神がわたしたちを愛しておられるということが示されている」という内容の詩に出会ったことがあります。若いときでしたが、非常に感動したものでした。

詩的な言い方だと笑われるかもしれませんが、いのち、すなわち生命は神さまにほかならないと思います。赤ちゃんが誕生するとは、小さな神さまが誕生するということではないでしょうか。ですから、自然に歓喜の感情が湧いてくるのでしょう。

生命が誕生するとき、それはあたかも神が無限に増殖していくようなものと想像することができるのではないでしょうか。

人間の子はもちろん、動物の子も、赤ちゃんが皆、可愛いのは、神さまがにっこり微笑んでおられるからと感じるのは、わたし一人だけでしょうか。

クリスマスとは、いうまでもなく、わたしたちの救い主、イエスキリストが、ユダヤのベトレヘムで、母のマリア様からお生まれになった出来事をお祝いする日です。

わたしは、ベトレヘムを3回、訪れました。いつ行っても、そこは懐かしく感じられる聖なるスポットでした。

神の御子は、神でありながら、わたしども人間のあらゆる罪や苦罰が赦され、神の子どもとして救われるように、人の子としてお生まれになったのです。ですから「大きな喜び」、すなわち「福音」と呼ばれるのです。

この誕生の喜びを思い出し、感謝と自信と勇気をもって、今の人生を生きられたらどんなに幸せなことでしょうか。


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