10月10日、母と子は一緒にいるのです。胎内の子の成長に合わせて、母親も成長していくのです。神様は何と素晴らしい仕組みを創られたことでしょう。新たな命が母親の胎内に宿り誕生へ至るプロセスは、神様の創造の業に触れる行為だからこその喜びがあるのだと思います。
「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と聖書は伝えています。(ルカ2・6~7)
私ならばかわいい娘や孫にそのようなことはさせられません。明るく清潔で、ゆっくり休める環境を最優先するでしょう。ところが神様の思いは想像を超えるものでした。命よりも物の豊かさを優先し、憎しみや争いの絶えない私たちを救うために、御独り子を、最も貧しい場所で、お与えくださいました。この神様の恵み、神様の愛の現れが、クリスマスなのです。
男の子を抱っこすると、私はいつも、「イエスさまもこんな感じだったのかしら」と考えます。夜中に馬小屋で生まれたイエス様も、しっかりした骨格と確かな生命の波動をもっておられたことでしょう。
しかし現実の誕生とは、ある日突然母の胎内に生を受け、気付いたら育ち始めており、さらにある日突然、見知らぬ世界に飛び出させられるという大変な作業です。多くの人はめでたいと喜びますが、生まれる当人にしてみたら嬉しくも何ともないでしょう。災難でさえあるかもしれません。私も含め、たいていの人が自分の誕生をおぼえていないのは、その苦しさを少しでも和らげるための神様の計らいなのでしょうか。
それでも、困難を乗り越えて命は絶えず生まれてきています。
その重みを真剣に受け止め、一人ひとりに与えられた将来の可能性を狭めないためにも、イエスの誕生を通して、もう一度命の波動を味わいたい。それが私にとっての12月です。
この月、イエスを囲むヨセフとマリアの像を見る機会が増えると思います。そんなときはぜひ、「自分も隣人も等しく命を与えられている」という大切な事実を、思い出してみましょう。