ある司祭からこんな話を聴いたことがあります。勉強もスポーツも一番になることを我が子に期待していた親がいたそうです。しかし、その子がある日、行方不明になりました。捜索されているあいだ、「生きていてくれればそれだけでいい」と思ったそうです。子供は無事に帰ってきました。親御さんは、その日から我が子が元気であること以外、何も望まなくなったといいます。
親の立場とは違いますが、私は姪が生まれた時、それに近い感情を味わわせていただきました。「命は何と美しいのだろう、人はなんと立派に造られているのだろう」と感動したのです。
さて、今から2千年前、天地を造られた神が人間となって地上に来られました。それが「クリスマス」です。
この驚くべき出来事を「親の気持ち」として考えると、案外、突拍子のないことでもないと思えます。親は、子供のためならばどんなことでもするからです。神さまは、私たちを愛していることをどうしても知って欲しくて「人」となられたのでしょう。親が子を慈しむ気持ちと同じです。そう考えると、全能の神が限界ある人間になられたことは、とても自然なことのように感じられるのです。