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私とロザリオ

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

こんなことをいうと神父様に叱られるかもしれませんが、私はあまりしばしばロザリオの祈りを唱えているとはいえません。ひとつは、多忙で繁雑な現実のなかで、一人ゆっくりロザリオに向かうゆとりがないという現実があります。もうひとつは、ロザリオに触れたとたん、すべての祈りがスッと放電して神様のところに行ってしまうような気がするからです。この時点で私は、長いロザリオの祈りを唱えるきっかけを失ってしまうのです。

けれども、ときどき大きなチャンスがやってきます。「眠れぬ夜」です。特に悩みがあるわけでもないけれど、蒸し暑いとか寝苦しいとか、旅先だったり、講演やコンサートの前の興奮状態にあるときなど、羊を数えても深呼吸しても、どうしても眠れない夜があります。

そんなとき、鞄をごそごそとかき回し、愛用のロザリオを取り出すのです。「アベマリア」の祈りの翻訳が大人になってから何度も変わったため、私はいまだに、初めて唱えた古文調の祈りが一番素直に出てきます。日本語の古文調祈祷には音楽性があるからかもしれません。

小さな十字架と円いツブツブが手に触れると、不思議に心が静まってきます。心のなかで1連から2連唱えると、たいていは意識が遠のいてきます。ロザリオを握ったまま眠りに就くこともあります。瞑想の課題として決められている聖書の場面が思い浮かぶこともあれば、その時々の重荷について考えが深まることもあります。何連唱えても眠れない夜も、沈静の恩恵には十分与れるのです。

長い祈りが難しいことはよくあります。そんなとき、眠れぬ夜にそっとロザリオを握り締めるだけでも、きっと祈りは授かるのではないかと、私はひそかに考えているのです。