評価する

遠山 満 神父

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通知表であれ、その他の評価であれ、他者からの評価を受けることは、時としてとても辛いことです。それと共に良いこともあります。それは自分の今の立ち位置を、ある程度確認できるからです。目標との関連で、今、自分はどのくらい到達しているのか、その現実を知ることは大切なことです。と同時に、それで自分の価値が全て決まるわけではないということを心に留めておくことも必要です。様々な人間的な評価は、私達の一部を評価するものであり、私達の全体を、完全な形で評価しうるものではないからです。

完全な形での評価は、ただ神様だけに可能です。その神様は、次のように言われます。

「私の思いはあなた達の思いと異なり、私の道はあなた達の道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道はあなた達の道を、私の思いはあなた達の思いを高く超えている」。(イザヤ書55・8~9)この神様の言葉は、神殿に上った2人の人に対するイエス様の言葉でより明らかになります。(参:ルカ18・9~14)

1人はファリサイ派の人で、もう1人は徴税人でした。ファリサイ派の人は、徴税人を見下しながら、神様の前で自分のことを誇らしげに語ります。一方の徴税人は、「神様、罪人の私を憐れんで下さい」と祈ります。イエス様は、「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも高ぶる者は低くされ、遜る者は高められる」とおっしゃいました。徴税人の方が自らの真実を認識していたからです。

私達も、誰かから高い評価を受けた時、神様に栄光がありますように、また逆の時、自己嫌悪に陥ることなく再度立ち上がれますように祈りましょう。

評価する

村田 佳代子

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私が主宰してきた美術教室は来年創立50周年を迎えます。

大学の恩師は美学美術史の分野で我が国有数の学者でしたが、ある時「美意識について大人になった君たちに学問として講義しても空しいと思うことがあるよ。美意識は子供の頃の本物体験こそが大切なんだ。このままでは日本人はこれから海外の美術品で高い買い物をさせられるぞ。僕は子供達にこそ見せたい、連れていきたい。本物を見抜く目は子供の教育次第だ」と言われました。その教授の指導のもと開設した教室です。

原則、子供たちの制作態度は評価しても作品の評価はしない、世界の名画について、子供たちに紹介し評価させるというユニークな方法で、3歳児から指導していましたが、10年を過ぎるころから成人の入会が相次ぎ、現在は大人だけになりました。私自身画家になり、国際展などで評価される立場であり、一方、国内では、児童画はもとより団体の公募展の審査員を務めることも度々です。

評価される場合、素直に嬉しい場合と、作者として見てほしい処と噛み合ず違和感を覚えることもあります。

評価する側に立った時は、出来るだけ、作品を通して見えてくる作者を捜すことを心がけます。公平を期すために年齢も性別も伏せて、作品番号だけで審査する場合が多いのですが、後で私がこんな作者ではというと大抵当たっていて、主催者から「よくわかりますね」と言われます。色彩、構図、描写力で技量と作品傾向は解りますが、それだけで評価はできません。まず、モチーフに作者の趣味や生活感が現れ、サイズと画材の扱いから年齢やキャリアを察し、テーマがありメッセージが感じられれば作者登場です。

何事も表面的な評価ではなく本質に迫りたいものです。


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