評価する

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

「評価」という言葉には多様な意味があります。学校でのテスト結果や、数字やアルファベットで表わされた成績を思い浮かべるだけなら、あまり良い印象を受けません。おそらく人のある側面や、能力だけを偏った物差しではかるように感じるからです。

しかし、「評価」は、目標を持って生きるためにとても大切なものだと思います。

私は、特別支援学校で重症心身障害児のクラスの担任をしていた時、評価ということについての視点が大きく変えられました。

介助を必要とし、寝たきりで自力では寝返りもできないような生徒たちの多くは、言葉で表現するということができません。関わる側にとっても、言葉にならない生徒の要求や意志に共感したり、理解したりするということはとても難しく感じられました。

しかし、彼らとの関わりが深まる中で、少しずつ変わっていく関係性や、彼らがゆっくりと成長していく過程に気付くことは、私の大きな喜びになりました。そして、学期ごとに行う生徒たちの評価の成果によるものだったと感じます。生徒の1人ひとりに適した、より充実した指導目標を展開させるため、生徒たちの小さな表情や反応にも気を配って、積極的な評価を言葉で文章化することを通して、評価の大切さを学んだのです。また、人を一律に評価したり、他者との比較の中で良し悪しをはかったりすることが、どんなに狭く、愚かなことかと考えさせられました。

この経験を通して、私は、御父なる神様の視点で評価するということ、1人ひとりをあるがままに受け入れ、可能性や能力を積極的に信じて評価し、それぞれの成長過程を共に喜ぶような「いのち」の教育を教えられたと感じています。

評価する

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

人間、生きている限り、モノや人との出会いが必ずあり、その出会いの瞬間、瞬間、何かを感じ、無意識に、モノや人を評価しながら生きていると言えます。美しいものを目にすると、"あっ、きれい!"と思わず、声を発します。人との出会いでも、会った瞬間、第一印象が、だれにもあります。"良さそうな人だ"とか"変な人ネ"とか、直感的に評価しています。

モノも人も、無数に存在しますが、人間について言えば、1人ひとり異なった存在で、同じ人は2人いません。2人といない自分、そう考えると、大きな、そして多くの存在の中で、実に小さい存在ながら、誠に貴重な自分自身であります。一方、モノについて考えるため、辞書をみますと、「形のある物体をはじめとして、存在を感じ、知ることのできる対象」という定義の後「仏・神・鬼・魂など、霊妙な作用をもたらす存在」という定義がみられます。つまり、モノとは、目に見える物体に限らず、見えないものもあり、人間はその存在を感じ知る能力を持っていることも教えてくれています。

目に見えない霊妙な作用をもたらす存在を探知できる人間もまた、霊妙な存在、褒め称えないではおられません。「霊妙な作用をもたらす存在」とは何か、この興味ある課題をそれぞれが探求し、紛争続く21世紀に、なんとか平和と安心をもたらしたいものであります。

「愛は、私たちのすべての行いの完成です。そこに私たちの目的があり、私たちは愛に駆られて、愛を目指して走ります。その愛に到達すれば、その中で憩うでしょう」とは、古代キリスト教の神学者、聖アウグスチヌスの言葉です。


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