2017年10月07日の心の糧

評価する

堀 妙子

今日の心の糧イメージ ずいぶん昔の話ではあるが、若き日の彫刻家の友人たちの話をしたいと思う。

彫刻家を目指す2人はまだ、彫刻で生活することができなかった。彫刻を続けるために、さまざまなアルバイトをしながら生活をしていた。ある時、黒澤明監督の映画の撮影があるので、小道具・大道具の製作のアルバイトを頼まれた。2人は世界のクロサワの仕事ができると思うと、ワクワクしながら出かけて行った。2人は映画の撮影現場でも教わることは多く、報酬をもらえる上に勉強にもなると喜んだ。

監督は、あるシーンを嵐の中での撮影を望んだが、青空続きで、映画に関わる人たち全員が「雨待ち」となった。戦のシーンを撮るために、たくさんの馬も待機していた。彫刻家の友人のひとりは、子どもの頃から野山を馬で駆け巡っていた。時間があるので、鞍もついていない裸馬に乗り、たて髪を手綱にして、無心に野原を駆け巡った。それを見ていた黒澤監督は「あいつは誰だ? 今回の戦のシーンで使いたい」と言い、助監督が彫刻家の友人に「戦のシーンに出てみないか?」と話を持ちかけた。しかし彼は、「私は彫刻家です」と断ったのだ。

彼はなぜ断ったのだろう......、しばらく答えは出なかった。

ある時、聖書を読んでいて、イエスに向かって「十字架を降りるがいい」と祭司長たちが叫ぶところがある。イエスは十字架を降りなかった。若い彫刻家にとって彫刻が、自分の使命だったなら、大道具・小道具の仕事以外は誘惑だったと思う。黒澤監督にとっても映画が使命だったように、若い彫刻家にとっても彫刻は、使命だった。「評価する」ときに「十字架」を基準にすると、ブレないで天職を歩いていけるのだ。

2017年10月06日の心の糧

評価する

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ 「評価する」という言葉の英語は"evaluate"です。物事の価値を客観的に判断するというニュアンスです。

たとえば成績や仕事の結果について、日本語で「評価する」は、「褒める」と同義語になります。英語で「褒める」は"praise"で、別の単語です。日本語で「低い評価」と言われると、まるで罪を犯したような気持にさいなまれてしまうことがあります。成績が悪いと「もっとがんばれ」と言われ、仕事の評価が低いと「あいつは仕事ができない」となり、結果でなくその人の能力が問題になってしまう印象があるのです。英語の"evaluate"には、この感情的な部分がないため、評価という言葉自体が中立で、次の結果につながるヒントになり得る気がします。

私は普段、外資系の企業で翻訳の業務を担当しています。社員は毎年自分で目標を立て、自己評価を提出し、上司や同僚からも評価を受けます。その結果はボーナスや給料に直結し、まさに評価がものをいう世界です。

けれど、評価は"evaluate"の単語の通り、感情抜きで行われます。そのため、困難に直面したとき「あなたはそういうことだから」というような叱責は受けません。代わりに「どうしたら解決できると思うか」と問われます。それにしたがってプランを立てると、目標は達成されていくのです。

神様が私たちの行動を見るとき、どちらかといえば英語に近い見方ではないかと思います。失敗した私に、「どうすれば立ち直れるか」、「どうやって修復するか」を見つめるよう仕向けられることはあっても、「そんなことだから」と叱責されることはないと感じるからです。

失敗から学べる手がかりこそが、意味のある評価ではないかと思っています。


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