評価する

三宮 麻由子

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「評価する」という言葉の英語は"evaluate"です。物事の価値を客観的に判断するというニュアンスです。

たとえば成績や仕事の結果について、日本語で「評価する」は、「褒める」と同義語になります。英語で「褒める」は"praise"で、別の単語です。日本語で「低い評価」と言われると、まるで罪を犯したような気持にさいなまれてしまうことがあります。成績が悪いと「もっとがんばれ」と言われ、仕事の評価が低いと「あいつは仕事ができない」となり、結果でなくその人の能力が問題になってしまう印象があるのです。英語の"evaluate"には、この感情的な部分がないため、評価という言葉自体が中立で、次の結果につながるヒントになり得る気がします。

私は普段、外資系の企業で翻訳の業務を担当しています。社員は毎年自分で目標を立て、自己評価を提出し、上司や同僚からも評価を受けます。その結果はボーナスや給料に直結し、まさに評価がものをいう世界です。

けれど、評価は"evaluate"の単語の通り、感情抜きで行われます。そのため、困難に直面したとき「あなたはそういうことだから」というような叱責は受けません。代わりに「どうしたら解決できると思うか」と問われます。それにしたがってプランを立てると、目標は達成されていくのです。

神様が私たちの行動を見るとき、どちらかといえば英語に近い見方ではないかと思います。失敗した私に、「どうすれば立ち直れるか」、「どうやって修復するか」を見つめるよう仕向けられることはあっても、「そんなことだから」と叱責されることはないと感じるからです。

失敗から学べる手がかりこそが、意味のある評価ではないかと思っています。

評価する

越前 喜六 神父

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30年位前の話になりますが、わたしが理事をしていた大学の、教育関係の学会において、アメリカの先例にならい、盛んに「教員の授業評価」とか「自己点検・評価」ということを議論したことがあります。これがきっかけになり、文科省でも授業評価や自己点検評価を推進するようになりました。

ところで、何か事業や活動を始めるにあたっては、「プラン・ドゥ・シー(Plan・Do・See)」、すなわち「計画→実行→評価」が必要です。その中で、最後の評価ということが、事業の存続、発展に大きく関わってきます。

この原則を個人の生き方にあてはめると、まず何をするかを考えアイディアが決まったら計画します。計画したことは実践します。そして、最後に点検・評価をします。評価とは、これをして何が良かったか、何が悪かったかを点検し、評価することです。その結果、メリットがデメリットよりも多ければ、その計画を継続していきます。

人生の物事には、長所もあれば、短所もあります。それを比較して、長所が短所を上回るときには、良しとすべきでしょう。

わたしは今、書物を出版しています。筆者はほとんど同じ会の会員です。主題は、たとえば、信仰とか、希望とか、愛とか、祈りとか、人々のスピリチュアルな益となるような内容の文章を書いてもらい、それをプロの出版社に委託します。

こういう事業からどういう評価が生まれるかというと、まず筆者が書くということに自信を持つようになる、読者が読んで心の糧というか、霊的な知識という貴重な宝を得る、本が売れると、発売元が経済的な利益があげられるなどがメリットで、デメリットは資金がかかるということでしょう。


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